真鍮を探究し続けた伝説のブランド
Roman Art

2019年5月に惜しまれつつ閉店した、吉田三郎商店のオリジナルブランド「Roman Art」。

1927年(昭和2年)に創業した吉田三郎商店は、真鍮や銅の原材料問屋として開業し、戦前は軍御用達の指定業者として、独占的に真鍮製品を取り扱い、松下電器の松下幸之助氏に電球の金具部品を納品していたそうです。戦後は日用品を中心に製造し、米国上流家庭用のインテリアアクセサリーとして輸出していました。

1960年頃、当時の日本に男性用の服飾用品はほとんどなく、上野のアメ横でアメリカの放出物資を物色し、それを着る程度だったそうです。アメリカ映画のファッションを、ため息混じりで見るだけの時代。そんな背景の中、1961年(昭和36年)テイジンメンズショップが銀座にオープンし、アメリカとアイビーが、ファッションに飢えていた日本の若者の心を掴みました。吉田三郎商店の長男であり、三代目である吉田尚暉氏もその洗礼を受け、大学時代にテイジンメンズショップでアルバイトをしていました。

その後、1960〜70年代にかけて「アイビールック」を確立させ、「みゆき族」などの流行を作り、T.P.O.という言葉を初めて用いて、メンズファッションとライフスタイル、それらのカルチャーを築き上げたアパレル企業「VAN Jacket」へ入社。そこで尚暉氏は、アイビーアイテムに多様されていたアメリカ製のブラスプロダクトに出会います。ドアノッカーや、さりげない小物など真鍮の製品は、実にアイビーにマッチしていました。

ある時、VANの石津謙介社長が米国で買い求めてきたブラスプロダクトの中に、実家の吉田三郎商店の製品があったことに尚暉氏は気付きます。さらに、石津社長から言われた「機を見るのが敏でなければならない」(=「機を見るに敏」チャンスやタイミングをすばやくつかんで的確に行動する様)という言葉をきっかけに、VANを4年で退社し家業を継ぐことにしました。

VANで学んだ精神と経験を活かし、1960年代後半からはKENTをはじめ、Brooks Brothers・Boat House・テイジンメンズショップ・REGALなどの看板製作を請け負うようになります。吉田三郎商店製の看板はステイタスとなり、日本全国のほとんどのトラッドショップが看板制作を依頼するようになったそうです。また、それらのブランドのノベルティやネームプレート、ブレザーのボタン、アクセサリー、ステーショーナリー、生活用品などを製作。
ものづくりへの頑固なまでの姿勢から生み出される確かな製品は、機能と美しさを兼ね備え、高い評価と信頼を得て、やがて、吉田三郎商店はブラスプロダクトの老舗メーカーとしての地位を築き、「ブラス業界にこの人あり」と、ブラス業界の第一人者として吉田尚暉の名が認識されるようになりました。それはひとえに、尚暉氏が真鍮の魅力を再認識し、仏具や神具、医療機器がほとんどであったブラスプロダクトの、新しい分野を開拓した結果だったのです。

外観

「Roman Art」は、Made in JapanとHandmadeにこだわった、吉田三郎商店のオリジナルブランドです。
全てのパーツが真鍮で製造されているものが多く、キーホルダーひとつとっても、当時の職人の技術力の高さをうかがうことができるクオリティの高い製品です。特に真鍮製のシャープペンシルは、その粋を極めた一品といえるでしょう。

東京都墨田区吾妻橋にあった吉田三郎商店では、オリジナルプロダクトだけでなく、アンティークグッズ、懐かしいもの、珍しいもの、無くなりそうなもの、貴重なものに日の目を当てたいという尚暉氏の、こだわりが詰まったのお店でした。

RBrassで扱う「Roman Art」製品は、1960〜1970年代を中心に製造された貴重なデッドストックです。
吉田尚輝氏の、真鍮に対する精神とともに「Roman Art」の看板を引き継ぎ、取り扱っております。